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麻雀ファミリー

麻雀ファミリーと呼ばれる、知り合いの家族の父親と母親が出逢った場所というのが、雀荘であったのだそうです。

ここからは“知り合いの目線”になりきって、このエピソードを紹介しましょう。

 

両親の出逢い

小学生の友達同士の間で、両親の出逢いのエピソードを調べてくるという遊びが流行った事がありました。離婚をしているような両親の子には酷な遊びであったかもしれませんが、子どもたちの遊びは時として、シビアでリアルなものです。

私にとっても、とても興味がある両親の出逢いでありました。私が生まれる前の出来事です。まだ若かりし父親と母親が、夫婦となるべく出逢うのです。なんともロマンを感じる遊びだったのですが、母親は、「お父さんに聞いてちょうだい」と父親への打診を促します。父親に、2人の出逢った経緯を聞いてみると、面倒くさそうな顔をして、「雀荘、麻雀屋だよ」と一言答えてくれました。小学生であった私には、雀荘だとか、麻雀屋という響きが何を表わすのか分かりませんでした。

「雀荘」「麻雀屋」という響きを、生まれて初めて聞いたので、ワクワクとドキドキで胸が高鳴る感覚を覚えました。父親に「雀荘って、どう書けば良いのかな?漢字を教えて欲しい」と、父親にせがむと父親は、優しく私から鉛筆を取り上げ、新聞の折り込みチラシの裏側の白紙のスペースに、「麻雀屋さん」と大きく書いてくれました。

私は、父親が折り込みチラシの裏面の白紙の部分に書き込んでくれた、「麻雀屋さん」と言う文字の下に、同じように「まーじゃんやさん」大きく書きこんでみました。「麻雀屋さん」で、初めて出逢った父親と母親をイメージしてみますが、実際の「麻雀屋さん」を知らないので、どのような場所なのかを調べなくてはなりません。

今でこそどこそこに全自動麻雀卓を置いている麻雀屋さんがビルになかなどに多々ありますが当時はそれがどこにあるものか想像すらつきませんでした。

ファミリーヒストリーを探る小学生たちは、その後、「麻雀」という、不思議なゲームに出逢う事ができるのでしょうか?

 

麻雀屋さんって?

父親から情報を得た「麻雀屋さん(まーじゃんやさん)」について、翌日、近所の子どもらと調べてみる事にしました。

「うちはね、まーじゃんやさんだったよ」と、朝の通学途中に報告してみると、皆、「まーじゃんやさん!?」と、大きな声で、口ぐちに叫んで、「まーじゃん!」「まーじゃんって何さ?」などと、空に向かって大はしゃぎしていました。

その時のご近所のガキンちょメンバーからの報告は、A子の両親は「お見合い」、B子の両親は「お祭」、C男は「山登り」などだったと思います。実際にはそれぞれの両親たちが、子どもたちには、自分たちの慣れ染めを本音で話していない可能性もありましたが、皆、両親たちの出逢いに満足していました。A子のお父さんとお母さんも、B子のお父さんとお母さんも、C男のお父さんとお母さんも、無難な出逢いでしたし、なんとなく想像のできる、それぞれの出逢いでありました。

問題は、私の両親の「麻雀屋さん」です。私達は、「まーじゃんやさん」って何?という疑問が、その日1日中、駆けめぐりそのことだけを考えていました。

 

深まる好奇心

小学生の頃、私の両親の出逢った慣れ染めを聞きだしたところ、「麻雀屋さん」で出逢ったという2人のエピソードが返ってきましました。その時、近所の子どもたちの間で流行った遊びだったのですが、他の子どもたちが入手した両親の出逢いエピソードは、「お見合い」「お祭」「山登り」と、 オーソドックスな出逢いばかりでした。

その両親の出逢いを、オママゴトを演劇風に見立てて、私達は遊んでいました。「今日はさ、B子のお父さんとお母さんが、お祭で出逢った遊びにしようよ」などと、誰かが言い出すと、配役が決められ、お祭で金魚をすくうシチュエーションなどを、真似て遊んでいました。

そこで、大問題となったのが、私の両親が出逢った「まーじゃんやさん」です。皆で、「まーじゃんやさん」って何?という疑問が湧きました。

私は、学校から帰り、夕飯時をみはからって、両親に「麻雀屋さんって何?」と尋ねてみました。「ゲーム屋さんだよ。すごろくとか、福笑いとか、トランプとかと同じだよ」と、父親が答えてくれました。相変わらず、母親はだんまりを決め込んでいます。すごろくや、福笑いや、トランプと同じような、まーじゃんができる場所があるとは、幼心には、「まーじゃんやさん」が、何か特別な場所に聞こえました。

そんな楽しい場所がこの世にあるのという事を、A子にも、B子にも、C男にも、知らせなくてはという使命感が沸々と湧いてきたのです。翌日の朝の通学路で、A子、B子、C男が揃ったところで、私は、「まーじゃんやさん」って、ゲーム屋さんなんだって!と報告会を行いました。皆の目が、一瞬で輝きました。「ゲーム!行きたい!」「まーじゃんやさん、行きたい!」と、合唱しながら学校まで4人で賑やかに行進したのを覚えています。

 

まーじゃんやさんを探せ!

近所の仲良し4人組は、「まーじゃんやさん」探しに夢中になって遊んでおりました。私達は、両親や学校の先生たちには、秘密事として、私たちだけで「まーじゃんやさん」の在りかを突き止める冒険を始める事にしたのです。

放課後に、いつもの空き地に集合すると、紙と鉛筆を持ち出して、「まーじゃやさん」の地図を作成することにしました。隣駅にあるというA子に対し、B子とC男は、そんな簡単な場所ではないなどと反論しています。私たちの間では、「麻雀屋さん」は、秘密の憧れのゲーム屋さんという設定に必然的になっていきました。

そこで、近所の物知りの大学生のD助さんのアパートに、行けば何かしら情報があるかもしれないという、D男の発案から、私達は、東北から上京してきた、D助さんのアパートに行ってみる事にしました。D助さんは、公園などで読書をしている時に、挨拶すると一緒にキャッチボールなどをしてくれる優しいお兄さんです。私達の間では、人気者の親しみのあるお兄さんでした。

A子の両親が大屋さんをしているアパートに居候しているD助さんは、大学の講義が休講であったりすると、図書館か自宅のアパートで、論文書きをしている事がほとんどでした。その日、A子の家の裏にある、D助さんが間借りしているアパートに行ってみましたが、D助さんは、ちょうど外出しているようでした。その日は、仕方がないので、A子の家で、皆で、パンケーキのおやつを頂いて帰宅しました。

 

D助さんとまーじゃんやさん

大学生のD助さんは、東北から単身で上京をしてきた、真面目な学生さんです。

大学の講義がない時は、図書館かアパートの自室で、論文書きなどをしていますが、天気の良い午後などには、公園のベンチや芝生の上で読書をしている姿もみかけます。D助さんは、物知りなので宿題などの分からない事を尋ねると、何でも教えてくれました。私達の歳の離れたお兄さんとして、近所の人々も、余った食材を差し入れするなど、D助さんを、何かと気に掛けながらアパートの前まで、お夕飯を届けたりしていました。学校からの帰宅途中、通学路でD男が、「今日はさ、図書館に行ってみようよ。

D助さんがいるかもしれないじゃん」と言い出したので、そのD男の鶴の一声で、私とA子とB子とD男は、ランドセルを自宅の玄関に放り投げると、いつもの空き地に一目散に集合しました。図書館は、駅を越えて行く事になるので、ちょっとした冒険気分で、皆と行進しながら駅に向かって行きました。物知りのD助さんならば、「まーじゃんやさん」を知っているに違いないと、私達は行進をしながら確信していました。駅に着いたので、改札の駅員さんに一声かけてご挨拶をしながら、駅の向こう側の図書館に行きたいと伝えました。駅員さんが、どうぞと通してくれたので、駅の構内を行進しながら進みました。

図書館までは、駅の前のゆるやかな坂道を登らなくてはなりません。坂道を登る途中、休憩したいというB子が、こんな事もあろうかと思って、お小遣いをもってきたと言い出して、1本のオレンジジュースを自動販売機で買って飲みました。4人で1本の冷たいオレンジュースを囲んで喉を潤しました。坂道の途中で、休憩していると、坂の上の図書館の方から降りてくる、D助さんの姿が見えました。

4人とも、大はしゃぎで、D助さんに掛けよると、一斉に大きな声で、「まーじゃんやさん!」「D助さん、まーじゃんやさん、知ってますか?」と、D助さんを質問攻めにして囲みました。D助さんは、困ったように優しく笑うと、私達が何故、「麻雀屋さん」に行きたいのかを、ゆっくりきちんと聞いてくれました。

D助さんは、大はしゃぎする私達を、ゆっくりと見回して、駅までの途中の細い路地を曲がると「麻雀屋さん」があるから、皆で覗きに行ってみるかい?と、私達を「まーじゃんやさん」に案内してくれると言うのです。「まーじゃんやさん」は、大人にならないと入れないから、外から覗くだけだよと約束をかわすと、私達は、D助さんの後ろを行進しながら付いて行きました。

私の家族が、「麻雀ファミリー」と呼ばれるようになったのは、この出来ごとの数日後からでした。