着物とジャポニズム
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きものとジャポニズム

みなさんがご存知のように。A氏の建築表現にある、お得意のコンクリートを固める板の素晴らしさは、職人の目からすると仕事再発見みたいなもんです。本当にすごいですから。1970年代以後における我が国のコンクリート建築は一定の境界線を越えたひとつの顔を作ったと言わざるを得ませんね。しかしながらジャポニズムにはそれに匹敵するめざましいものはないです。やはりジャポニズムは「気分」と言えるのではないのでしょうか。例えばジャポニズムにおいて代表的なものとしてあげられるきものなどは、その良さにもかかわらず抜本的な改革がなされないことが功を奏しているように思えてなりません。私は以前O氏のツーピースのきものに夢中になったことがあります。上下にセパレートのきものなのですが、確かに簡単に着ることはできますが下の部分はまさにインドネシアのサロン風。しかしながら考えてみれば本来きものは「おはしょり」。このあたりを大切にしてきてましたよね。だからこそきものは「腰で着る」ことができた。日本舞踊の動きもダイナミックになるわけです。簡単に着れることを重視したO氏のツーピース着物が定着しなかったのもうなずけますね。私はきものを作っていいるところはいくつも見たことがあります。まあ、とにかく技術が細かいですよね。ぼかし染め一つとっても長い生地のぼかしがピッタリと合う。職人さんに、なぜこんな事ができるのかとお尋ねしても「長年のカン」で一蹴されてしまいます。本当はもっと奥深いものなのでしょうけど。だからこそ残念なのは最近流行っている浴衣ですね。Tシャツ感覚でコスパ優先の表面感覚で商品開発がされている。きものは本来、柄、織りなどのテキスタイルにこだわりを持ってそれを纏うことに喜びを感じるものであるのに、本当に表層的ファッションになっています。そういうこだわりのない世界にはならないで欲しいと切に思います。京都にはまだ素晴らしいクリエーションが存在しますから、そこを発信基地として世界中の人たちが身につけたり、買ったりできるようになると良いですね。